2023年12月5日火曜日

母のこと

 

高齢者健康医学センター 森田明夫

 

ちょっと暗い話です。私ごとで申し訳ありません。

つい先日母を心筋梗塞で失いました。ちょっと世の中が変わってしまった気がします。何のために努力してきたのか?自分を作った根元が失われてしまった気がします。喪失感とはこういうことでしょうか?父の時も悲しかったと思いますが、今ほどの脱力感はなかったように思います。そう思うと父親は可哀想ですね。

私が小学校の頃(6年生の頃だけです)、母に連れられ、何もわからないまま四谷大塚という進学教室に毎週日曜日に通っていました。背の小さいやや太った母だったので、友達に見られるのが嫌で、友達と会うと「ちょっと離れて歩いて」なんて言ってました。でも自分は一人では家に帰れないので母が外に待ってくれているのを見るととても心が落ち着いたのを覚えています。塾の授業時間中どこでどうやって時間を潰していてくれたのか?聞くこともなかった自分勝手なひどい自分でした。授業の後は私のリクエストで、大宮駅でうなぎをご馳走になって岩槻に帰るという日々で、いつも「明夫はうなぎが好きだね~~~」というのが最近になっても口癖でした。そんな自分でも志望校に入れると自分のことのように喜んでくれ、その後も中学、高校、大学とそして留学、医師になって米国に留学して、大学教授を経て広島に来てという私の人生をいつも傍で自分のことのように応援してくれていました。それに対して私は何をしていたんでしょう?

母は料理が得意で特に煮込みハンバーグは、あの頃市販のデミグラスソースなんてなかったのにとても美味しかったのを覚えています。胡麻汁で食べる冷麦も美味しかった。子供の頃の私は好きではなかったのですが、母は自分が好きで塩鮭の酒粕煮をよく作っていました。今となっては私も好きだろうなあと思いますが、大人になってからは食べさせてもらったことがありませんのでレシピがわかりません。味覚の記憶はよく残りますね。

母はこれまで何度かリンパ腫とか乳がんとか大病をしていたのですが、昨年末だったか妹を突然失って、親兄弟姉妹全ていなくなってしまって、話相手がいなくなってしまったからか、ちょっと今年に入ってどうも部屋に引きこもりっぱなしになってしまって、話が繰り返し、そして言っていることがおかしくなってしまいました。鎖骨の上にまたしこりを発見して、私の前職の病院に入院してもらい、リンパ腫の再発であることがわかりました。幸い非常に良い手当を受けて、看護師さんたちと毎日話をしたためか認知の状況も非常に良くなったのですが、あれほど料理と食事が好きだった母がほとんど物を食べられなくなってしまっていました。多分抗がん剤の影響で胃や腸があれてしまっていたのでしょう。

長期の入院のため一人で歩けなくなり、身の回りのことができなくなってしまっていたので介護付きの老人施設に入ってもらい、身の回りの世話をしてもらっていたのですが、やはり口からの食事ができないし、介護施設では点滴が難しいということで、どうなることかと思いましたが、なんと復活して食事もエビフライ2本やトンカツを3枚も食べられるようになっていました。でも昨日(11/27)の朝胸部苦悶を訴えて救急で循環器専門の病院に運ばれ加療を受けましたが急性心筋梗塞で心停止をきたして、回復できませんでした。私は福山にいたので、大急ぎで帰京しましたが、血圧も上がらず、最後を看取るのみでした。

色々なことが思い出されます。子供の頃のこと。上海の学会に連れて行ったこと。米国の留学先、ミネソタやワシントンDCにきてもらったこと。私の恩師のSekhar先生の半分の背丈もないし、英語も全く喋れないのに先生の前でも堂々としていて、海外でも全く動じることがありませんでした。若い頃(私が小学校低学年の頃)にはちょっとヒステリー気質ですぐ怒って実家の古河に帰省してしまっていましたが、懐かしい思い出です。数日すると父が実家に迎えに行って連れて帰ってくるというのは、私が覚えているだけでも10回くらいはあったように思います。よくもまあ母の実家は帰省を許していたものです。でも私が高学年になった頃には、「自分の行動を遠くからもう一人の自分が見ている。」というようなことを言い出して、怒りだか熱くなるのを抑制できるようになったようです。本当にどこの舞台に出しても良くもまあこんなこと喋れるな、、ということを喋ったりしていました。でも後で私には色々電話で愚痴るのも忘れない。また一際気位とプライドが高くて「バカにされた!」と思うと、後ですごい剣幕で色々ぐちぐちと文句を私に向かって(相手ではなく)いう母でした。「そこが良くないよ!そんなこと気にしないでも。」と言っても、こう言う自分もそのような気があるな〜と思います。私はあまり愚痴ってはいないですが、妻に聞くとそうでもないかも。

まあ遠くから自分を見ているというのは、自分もそのような技を少しだけ受け継いでいるようにも思いますが、自分の顔をみると母の面影がかなり入っているので、母が見ているのか、自分が見ているのかわからなくなることもあります。そんなことを言うとマザコンかと思われますが、そうでもありません。

親の性格や顔貌、体型とか、考え方とか、どうしても息子は母親の影響を受けやすいし、娘は父親の影響を受けやすいというのが世の常です。遺伝子の量からそれは決まっているのです。男の子は母親からの遺伝子の量が5%位多いのです。女子は半々です。(ので女子は父親が強いとは言い切れないのですが、息子に関してはdefinitelyです)

そういうわけで、自分の最も近い肉親を失うと、自分で言うのも変ですが、愛情というのか、気持ちをずっと受けてきたので、これがなくなると、果て私は実際何を目的に生きてきたのかと考えてしまいます。母を喜ばせるために努力してきたのかな?など。

まだまだ時間があると思っていたのに、急にいなくなられるので、91歳とは言っても、なんとも悲しみと喪失感が絶えません。これまで受けた恩や愛情に比べて、私ができたことが少なすぎて、本当に自分が情けなくて、崩れ落ちそうに感じます。

ちょっとボケてしまったかなと思った時は、もうこれまでかなんて思ったし、これまでも大病した時には、この先持つかななんて思っていたのに、助かったり良くなったりすると何もしなかったのです。

「孝行したい時に親はなし」

とはよく言ったもので、親への愛情の恩返しは、できる時に思いっきりしておくべきだったな。と今になって思う自分です。

 

ですので、これを読む機会のあった皆さんにはぜひ親御さんがいらっしゃれば、孝行を一つ。または心がけ・声がけを一つ。日に一回は無理でも週1では電話か会いに行ってあげましょう。と言いたいです。

 

また毎日話をする相手がいないと認知機能が衰えますので、無理矢理にでもどなたかとお話しをしてもらうことです。

 

今回はあまり高齢者健康医学には関係のない話ですが、親子の関係って切れるものでもなし、とても大切な生活の単位です。親子関係が全て正常なら、多分地域も社会も国も正常になるのではないかと思います。

 

つまらない話でした。年末に暗い話で申し訳ありません。そう言うわけで今年は年末年始のご挨拶を控えさせていただきます。

 

母の写真

Amorランキン1位2位のうなぎ

雑談:

最近は事務局長を務める海外の学会の準備とかちょっと忙しくて料理に打ち込んではいないのですが、今回のことで突然行けなくなったのと、今日は妻が大学時代の友達と女子会とのことで、私は自宅で寡状態。前から作りたかったガオマンガイ(シンガポール海南チキンライス)を炊飯器で作ってみました。福山のアパートには炊飯器がないので、これができないのです。ご飯なので、リバウンドまっしぐらの自分には痛い一食ですが、まあ明日少し挽回できれば。

ご飯1合半、にんにくかけ、しょうがかけ、お酒、みりん大さじ1、鶏ガラスープのもと小さじ2、醤油小さじ1.5、ニョクマム(今日は魚醤で代用)小さじ0.5 で分量よりやや少なめの水と鳥もも肉1枚をドカンと上に乗っけて炊飯します。

ソースが決めて。私は、唐辛子酢(酢に唐辛子)、AKIOの厚揚げソース(醤油、オイスターソース、中華黒酢、韓国黒ごま油)、辛醬(茅の家)、タイレッドチリソース、と山盛りのパクチーです。

今日は魚醤なのでやや和風になりましたが、ニョクマムならタイ風になること請け合いです。

その他は前回も出しましたが、圧力鍋で作るシチューに凝っています。ハート中山牧場の肉ぞろえはすごいですね。駒込にも少し高めではありますが、玉子屋という肉屋さんがあります。以前テレビで飯尾さんがそこのローストビーフを紹介していました。そこで購入して作ったテールシチュー 超絶品でした。


また11月の初旬に那覇で脳神経外科認知症学会という会合があり出席し、本センターの取り組みの紹介をしてきました。その会で当施設の寺岡暉会長を含め3名の現役で活躍されている80代後半の先生方3名の講演がありました。中に鈴木信先生(90)という消化器外科医で現在は沖縄ブルーゾーン(たくさんの健康な100歳が多く暮らしているゾーンのこと 世界に5か所あるそうです)の会頭をしている先生の講演がありました。要旨は先の大戦で沖縄では47万人の人口の1/4が亡くなったそうですが、復興を挟み昭和30年代には100歳以上が数百人位おられたそうです。その中で認知症の方はとても少なかったのですが、現在はまだ100名以上いる100歳以上のご老人のうちほとんどが認知症になってしまったそうです。みなさん食事が欧米化したためと思われがちですが、それだけではない。とのことです。“生きがい”という英語にはない言葉がKeyだそうです。また沖縄には「模合(もあい)」という文化があり、気の合う仲間で毎月集まり飲み会を行い、ついでに資金を積み立て、旅行や事業に役立てる集まっていたとのこと。こういう機会で色々な人たちと楽しい話をして、歌って、踊ってなどをしていたのでしょう。

フレイル・認知症予防にはNEAT(Non exercises activity thermogenesis: 運動ではない熱量発生)が重要とのこと。これを日々実践していたのが、沖縄でも減ったのでしょうか?


沖縄では沖縄料理 特にカナという中城にあるイラブー汁料理のお店が私の世界料理番付(Amor’s グルナビ4.99)で最高なのです。これまでに3回訪問しているのですが、前回は2016年の訪問でその時は料理担当のおばあがやや認知がかかってきているような風でしたので、今回は行けないか?と思っていたらなんと復活して元気に料理をしているというのです。あの頃はご主人が大病をしてそれこそ話相手がいなかったようです。今回も元気に美味しい料理を出してくれ、ついでにジューシー(沖縄風の昆布炊き込みご飯)を翌朝のお弁当にと持たせてくれました(泣)。すごーーく美味しかったです。


また沖縄は沖縄そばも美味しいですね。今回は特に名護にある古民家を改築した大家という沖縄そば屋さんでの軟骨そば(ソーキの軟骨部分・骨残すことなく全て食べられます)が最高でした。東大の先輩で本部で病院を開設していた上田先生(寺岡に40年前に在籍の頃お世話になった先生です)が10数年前に連れて行った下さった今帰仁城も訪れることができました。世界遺産に認定されているので綺麗に整備され古城という以前の鄙びた雰囲気は無くなってしまっていましたが、琉球の長い歴史を感じられる場所です。




さて今月は特に教室やコースは計画していませんが、Local commonsに音楽教室や筋トレ体操教室を開いてくれるようにお願いしています。外来の終わった後に歌を歌えばオーラルフレイル予防になりますし、筋トレと一緒にしたらすごい肉体―オーラルフレイル予防掴み取りです。来月には寺岡会長の同級生の本センター顧問の宮下充正先生の講演会がビッグローズで、2月には待ちに待った谷本道哉先生(テレビ筋肉体操の先生、順天堂大学の准教授です)の筋トレセミナーがエフピコアリーナであります。乞うご期待!